DREAM21 バイオリニスト 八尋 祐子(やひろ ゆうこ)さん 全日本吹奏楽連盟常任理事 八尋 清繁(やひろ きよしげ)さん
ページ番号1008336 更新日 令和3年3月12日
元気と感動を与える音楽を届け続けたい
プロバイオリニストとして、長きにわたり第一線で活動してきた八尋祐子さん。幼い頃から練習に励み、音楽大学在学中から世界各国で演奏会を行ってきました。平成12年から、春日市が行う音楽家派遣事業「音楽の玉手箱」でも活動しています。
一方、夫の清繁さんはトロンボーンの奏者でありながら、教育者として生徒たちに音楽文化を伝えてきました。春日市民吹奏楽団では指揮者を務めた後、音楽監督に就任し、平成26年から6年連続で全国大会へと導いています。
春日市在住の夫婦の音楽人生を振り返りながら、音楽の魅力について話を聞きました。
音楽は日常の一部だった
祐子さん:バイオリンを必修にしている音楽幼稚園に入って始めました。音楽好きの両親が、戦時中で自分たちにできなかったことを娘にさせたかったようです。
練習が特別楽しかったというわけではなかったのですが、苦しいと思ったことはありませんでした。それだけバイオリンを弾くということが私にとっては当たり前のことだったので、将来は音楽大学に進学して、音楽をずっと続けていくんだと思っていました。
熊本に住んでいたのですが、小学校3年生からは福岡へ、そして5年生からは東京にもレッスンを受けに行くようになり、高校進学の際に上京しました。振り返ると、私自身が音楽が好きで、親がそのレールを敷いていてくれたので、まっすぐに進んでいけたんだなと思います。
清繁さん:学校の先生の影響です。妻とは対照的に、小学生までは楽譜を読むこともできませんでした。中学校では一度卓球部に入ったのですが、担任の先生から吹奏楽部に入らないかと誘われたんです。理由は、背が高いから(笑)。とりあえずやってみようと思い、最初はコルネット、その後はトロンボーンを吹いていました。すごく楽しかったですし、次第に楽譜も読めるようになりました。その後、所属していた吹奏楽部出身の先輩が、音楽大学に進学したことがきっかけで、自分も音楽の道に進むことを決意しました。高校進学後は、吹奏楽の練習が嫌になって別の道を選ぼうかと思った時期もありましたが「一度決めたことを中途半端にしてはいけない」と父に叱られ、それ以降は再び音楽に打ち込みました。ピアノや声楽を学んだり、月に一度、音楽大学の先生のレッスンを受けるために夜行列車で東京に行ったりもしていましたね。
祐子さん:国立(くにたち)音楽大学のバイオリン科に進学し、音楽漬けの日々を送っていました。首席を取れたことで、皇居で御前演奏を行うという貴重な経験もしました。その演奏会に母を招待したことで、親孝行できたかなと思います。
清繁さん:4年生のときに、定期演奏会でソロでトロンボーンを演奏する機会を得ました。その演奏はレコード化されることになっており、ミスが許されないので、演奏会までの2週間は食事が喉を通らない程緊張していました。しかし、本番はとても満足する演奏ができました。このレコードは一生の宝物です。
祐子さん:在学中にスコットランドで行われるユースオーケストラのフェスティバルに出演したことがあり、その際、トロンボーンの奏者が不足していて、大学内で探すことに。弦楽器と管楽器は普段は別々の授業を受けているのですが、オーケストラの授業で偶然知り合った人に声を掛けたところ、快く参加してくれました。その人が現在の夫で、生涯を共にすることになりました。
清繁さん:学年は妻の方が一つ上なんです。当時は、バイオリン科のすごい人なんだなという印象でした。出会ってから40年以上経ちますが、忙しいのにいつもお弁当やごはんを作ってくれて、尊敬と感謝です。頭が上がりません。
それぞれの活動に没頭した34年間
祐子さん:卒業後はドイツへ留学しようかと考えていたところ、九州交響楽団からオーディションを受けないかとお誘いをいただきました。せっかくのチャンスだと、入団を決意して福岡に移り住み、3年程演奏していました。
その後は、福岡ハイドン弦楽四重奏団で、34年間、月1回の演奏会を続けました。人生の半分以上の歳月です。大雪の日も台風の日も、毎月必ず開催してきたことは誇りです。
それまで弦楽四重奏は未経験だったのですが、ハイドン(※1)が作曲した約90曲を全部演奏しようということになり、猛練習しました。始めたころは長女が10カ月くらいだったので、我が家を練習場にして集まってもらっていました。子どもをおぶったままバイオリンを弾いたこともありました。家事、育児、練習と、かなりハードでしたね。結局、ハイドンの曲を全部やるのに10年かかりました。おそらく、全部演奏したのは私たちが日本で初めてだと思います。
祐子さん:毎日3時間くらいは練習しています。1日でも練習しないと悪夢を見るんです。練習していないままステージの幕が開いたとか、楽器がなくなってしまったとか。ハイドン弦楽四重奏団は令和を迎えるタイミングで終了しましたが、悪夢を見ないためにも、今でも毎日練習はしています。
清繁さん:オーケストラで演奏を続けたいという思いもありましたが、プロの音楽家としての道は狭き門で、中学校の音楽の教員になる道を選択しました。教員としての34年間は、いろんな学校で担任から校長までさまざまな職務を経験しました。吹奏楽部の顧問に就いて全国大会に出場したこともあります。当時、筑紫地区から全国大会に行くのは初めてで、快挙でした。
正直、教員の仕事はとても大変でした。いろんな背景を持った生徒がいますし、生徒指導に苦労したこともありました。それでも、卒業式で巣立っていく生徒たちの姿を見ると「よし、またやってやろう」と、とてもやりがいを感じるんです。その一日だけで、全てが報われた気がします。もう卒業して何十年も経つのに、今でも頻繁に連絡をくれる教え子もいます。教師冥利に尽きますね。
清繁さん:生徒との関わり方や言葉のかけ方、傾聴の仕方、受け入れ方は音楽をやってきたからこそできていることもあると思います。音楽は感性です。つくられたものを自分の感性で表現するものなので、感性を磨かなければなりません。つまり、人の心や気持ちを考えるということにつながっていると思います。
聴く人に元気と感動を与える
祐子さん:人の心を豊かにすることでしょうか。感染症の影響で、予定していた演奏会が1年近くできませんでした。音楽家はステージで演奏することが仕事なので、とてもつらかったです。そんな中、やっとの思いで昨年10月に何とか開催できたんです。その際、来場者のアンケートに「生の演奏に飢えていた」、「聞きに来られて本当によかった」という感想がたくさん書いてありました。やっぱり、スピーカーから流れてくる音と生の音では全然違います。聴く人に元気と感動を与えると思います。
清繁さん:人の感情を表現することです。今年度は全国大会中止という、苦渋の決断をしました。生徒たちがどれだけそこに向けて頑張ってきたか一番近くで見ていますからとても心苦しかったですが、生徒の安全を第一に判断しました。そのような中でも、周囲のサポートもあって特別演奏会を開催したり、「音楽は愛、音楽は心、音楽は夢」と書いたクリアファイルを作って生徒たちに配ったりしました。
音楽は、コンクールの勝ち負けではありません。良い演奏をして聴く人に感動を与えられるかどうかだと思うので、まだまだ予断を許さない状況が続いていますが、感動を届けるためにできることをやっていきたいです。
祐子さん:地道にコツコツ練習や準備をすることが大事だと思います。体力をつけて、体を丈夫にして挑戦してほしいです。嫌にならない程度に夢と向き合い、何事も楽しく続けていってください。
清繁さん:かなうかどうかは分からなくても、やりたいことを探して夢を持つ、そしてやり遂げることが大事だと思います。私もいまだに休みの日はよく音楽の勉強をしています。何度も楽譜を見ながら曲を聴いたり、本を読んだり。ぜひ、テーマを持って頑張ってみてほしいですね。
※1 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)。古典派を代表するオーストリアの作曲家で、「弦楽四重奏曲の父」として称えられる。
プロフィール
八尋 祐子(やひろ ゆうこ)
バイオリニストとして国内外のさまざまな舞台で活躍する。現在は音楽教室を通じて後進の育成にも力を注いでいる。今後の夢は、好きな曲をのんびりと演奏したり聴いたりして、「楽しむ」こと。
八尋 清繁(やひろ きよしげ)
元春日中学校校長。現在は西日本短期大学付属高等学校副校長、全日本吹奏楽連盟常任理事などを務める。今後の夢は、若い世代が吹奏楽を「楽しむ」ことができる活動を継続していくこと。
夢サポート
音楽家派遣事業「音楽の玉手箱」
音楽のあふれる素敵なまちづくりを目指して、学校や地域など市民の皆さんの元へプロの音楽家を派遣しています。
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