DREAM24 海外協力隊OV 花田 拓也(はなだ たくや)さん

ページ番号1009273  更新日 令和3年9月29日

感謝の気持ちを忘れずに

JICA(ジャイカ)(独立行政法人国際協力機構)海外協力隊として、アフリカ大陸南西部に位置するナミビア共和国(以下、「ナミビア」)にPCインストラクター隊員として派遣されていた花田さん。それまで培ってきた経験を生かし、ITの視点から、ナミビアの発展に貢献しました。

市職員ながら、同じく協力隊員として南太平洋に位置するソロモン諸島に派遣された西田憲右(にしだけんすけ)主任が聞き手を務めました。

写真:対談する2人
花田さん(右)と西田主任(左)

自分自身に挑戦したい

西田:協力隊は、国際協力に興味がある人だけでなく、自身のキャリア形成や挑戦のために行く人も多く、大学卒業後すぐに行く人、会社を辞めて行く人、会社の指示で行く人、休職して参加する人など十人十色ですよね。

私は、大学時代に国際関係学を学んでいたこともあり、自分の経験が何か役に立てればと思い応募しました。

花田さんのきっかけは。

花田:もともと国際協力に関心が強かったわけではありません。会社に勤務して3年が過ぎた時に、今後自分自身何をしたいのかと考え始めました。そんな時、たまたま協力隊の広告を見て、自分に何ができるのか挑戦してみたいと思い、会社を辞めて応募しました。大学生の時に、アジア圏を2カ月ほどバックパックで旅をしていたこともあり、不安よりはワクワクの方が大きかったですね。

西田:なぜPCイントラクター隊員を選んだのですか。

花田:前職ではIT関係の仕事をしていたので、その経験が生かせるのではと思い、応募しました。しかし、前職では営業職でしたので、知識はそれなりにありましたが技術に関しては特段詳しいということはありませんでした。そういう意味では不安はありましたね。

西田:もともとナミビアへの派遣を希望していたのですか。

花田:アジア圏の方がなじみやすいと思って、ネパールを第1希望にしていました。ナミビアは第3希望にすら入れていなかったので、合格通知が届いたときは、ナミビアってどこって感じでしたね。(笑)

結果的には、ナミビアでよかったと言えます。

写真:現地の人にパソコン操作を指導する様子
パソコン操作を指導する花田さん

日本では経験できない生活

西田:派遣される任地の環境は厳しいというイメージがありますよね。

私が住んだキラキラという地方都市では、お湯は出ないし、洗濯は手洗い、飲み水は雨水を貯めて飲んでいました。自宅はなかったので、宿泊施設に間借りして生活していましたが、毎日のように現地の人が入れ替わり宿泊していたので、交流という意味では楽しかったですね。

花田:私が活動していたカティマムリロは国境に近いへき地で、川の向こうはザンビアでした。州都だったので、わりと生活環境は整っていましたね。電波も4Gが入りましたし、スーパーも6~7軒ありました。外食ができるローカル食堂も2~3軒ありましたが、夜は治安が悪かったのもあり、JICA事務所の人が訪れる時に行くくらいで、もっぱら自炊生活でした。

住居は平屋で、屋根はトタン、床はコンクリート、窓には鉄格子があり、快適な牢獄って感じでしたね。特に生活に不満はなかったですが、乾季には湿度が5%と低いので、何もしなくても鼻血が出ることがありました。

現地の人は陽気な人が多く、いつも笑顔でした。多民族国家なので、私のように外から入ってくる人に対しても歓迎する風習があるように感じました。

西田:どのような活動をしていましたか。

花田:ザンベジ州教育事務所のIT部門で、事務所内のネットワークやサーバーの管理、パソコンの保守や修理などを行っていました。そのほか、現地の小学校を巡回しながら、パソコンの使い方の助言などをしていました。

西田:達成感を感じたことは。

花田:壊れたパソコンからまだ使える部品を集めて組み合わせて、新しく動くパソコンを作ったことですね。小学校や図書館などの公共施設にパソコンが約60台あったのですが、20台くらいしか動いていませんでした。それを、組み立て直して50台ほど動くように整えました。

特に、小学校の授業では、1つのパソコンを10人くらいで使っていたんですが、直した分、1つのパソコンに対しての人数が少しずつ減っていってうれしかったです。壊れたキーボードは、コードを切ってタイピングの練習などに使っていました。

図書館などで多くの人がパソコンを触っている姿を見ると、ちょっとは貢献できたかなと思いました。

西田:一方で苦労したことは。

花田:配属になって2カ月経った頃、カウンターパート(ボランティアと一緒に仕事を行う現地のパートナー)が産休に入ったんですよね。それまでITの部署が自分とカウンターパートだけだったので、彼女が産休に入ってからは、何でも1人でやっていました。なんでここで1人で働いてるんだろうと辛く思う時もありましたが、その期間があったおかげで、いろいろ課題も見えてきましたし、色んな仕事をメインでできたのはよかったですね。

1人で対応するのは大変でしたが、パソコンに困ったら何でもしてくれる人と認識してもらえるようになりました。パソコンができる人と認識してもらえたことは、その後の活動においてもやりやすかったですね。

西田:新型コロナウイルスの影響で、予定よりも早く帰国したそうですね。

花田:実際に現地で活動できたのは1年間ほどでした。協力隊は、1年目に基礎を作り、2年目から充実した活動ができると聞いていたのでとても残念でしたが、帰国してからも、現地の職員にメールやビデオ通話などでアドバイスしながら活動を続けました。

その他に、他の隊員と共同で、コロナに対する啓発ポスターを作成して、現地で配布してもらいました。日本にいながらでも少しでも現地のために、と活動していました。

写真:学校の子どもたち
巡回で行っていた学校の生徒たち

2年間の活動を終えて

西田:協力隊の経験が生かされていることはありますか。

花田:たくさんあります。派遣前よりも前向きに働けていたり、視野が広がったり。それと、多少のことでは物怖じしなくなりましたね。新しい環境でもすぐにやっていける根性と自信も付きました。

あとは、いろいろなことに感謝できるようになりましたね。ナミビアの環境が日本と比べて不便だったというのもあるかもしれませんが、今までいろいろな人と関わって助けてもらいながら生きてきたんだなって改めて感じました。

感謝の気持ちを忘れずに、これからはこの経験を還元していきたいです。

プロフィール

花田 拓也(はなだ たくや)

春日東中学校卒業。IT関係の仕事を経て、2019年2月~2021年2月、協力隊としてナミビア共和国の支援に従事。

※ OV=Old Volunteer(オールドボランティア)の略で、協力隊経験者のことです。

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