市名の由来

ページID:1011656  更新日 令和5年12月5日

日本の地名の中で最も古い記録とされているのは「奴国(なこく)」です。それは、後漢書(ごかんじょ)の中に「光武帝(こうぶてい)が、建武中元(けんぶちゅうげん)2年(西暦57年)に朝賀(ちょうが)してきた奴国の使者に印綬(いんじゅ)(金印・漢委奴国王(かんのわのなのこくおう))を賜った」という記事があるからです。この奴国は、現在の春日市を含めた福岡平野一帯を占めていたとされ、後に儺県(なのあがた)、那津(なのつ) 、さらに那珂郡の「那珂」に引き継がれてきたとされています。

さて、本題に入って、この奴国の枢要地域を占めた、現「春日市」の市名の由来をさかのぼってみましょう。ちなみに春日市は、明治22(1889)年に発足した新「春日村」から春日町、そして現在の春日市まで一度の分離や合併もなく、そして一貫して「春日」という地名が続いているまれな自治体です。

明治21年、政府は各町村が独立自治の財政力を持つことが必要との趣旨から、1町村の戸数が300〜500戸になるよう「町村制」を交付して、町村の合併を強力に推進しました。明治の大合併といわれています。

新春日村は、明治22年4月1日、那珂郡春日村・小倉村・須玖村・上白水村・下白水村の5村を合併し、村名はこの5村のうち、面積が最も大きかった旧春日村の「春日」を取って付けられました。新春日村が誕生すると旧村は「新村」の1段下位区分として、「大字(おおあざ)」を地名の上に付けることになりました。小倉村は「春日村大字小倉」、春日村は「春日村大字春日」と表記されました。

では、その大本の「春日」という地名はどうして付けられたのでしょうか。文献をたどると、春日神社の社記「筑前国(ちくぜんのくに)那珂郡春日大明神記録」にたどりつきます。それによると「後に天智(てんぢ)天皇となられる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)がこの筑前国におられるときに、現在の春日神社の地に天児屋命(あめにこやねのみこと)をお祀りした」と村民が言い伝えていると書かれています。

説明を加えると、このとき中大兄皇子は、その前年朝鮮半島の百済が唐・新羅の連合軍に敗れて日本に救いを求めてきたので、その救援のために斉明天皇とともに大和の国から西下し、那津( 博多湾) に上陸し、磐瀬宮(いわせのみや、現在の南区高宮)に滞在しておられたのです。西暦661年のことです。

実際に「春日」と名が付くのは、前掲「社記」に、神護景雲(じんごけいうん)2(768)年、大和国添上郡春日郷に天児屋命はじめ、外、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、斎主命(いわいぬしのみこと)、姫大神(ひめおおかみ)の3柱が祀られてからであるといっています。

つまり、春日神社の春日の名は、大和の国の春日郷(現在の奈良市春日野町)からきていることになります。

春日市郷土史研究会 平田 善積(ひらた よしずみ)

(市報かすが 平成31年3月15日号掲載)

旧5村に区切られた春日市の地図
春日市域の旧5村

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