地名とは(2)

ページID:1011655  更新日 令和5年12月5日

地名調査をしていて、思わぬ疑問にぶつかることがあります。たとえば、「住所」と「地名」とはどう違うのか。

まず、住所について考えてみます。日本では、明治になってから、地番を用いた住所の表示をしてきました。この地番はもともと、明治6年に行われた地租改正で、各村を単位として、納税義務者である地権者の土地区画ごとに付けられた番号でした。このため、「○○村△番地」といえば、その番地の土地の所有者の名前と地価が分かる仕組みです。明治22年以降は、それまでの「村」は「大字」となったので、「大字△番地」となり、この番地がそのまま住所として使われるようになりました。春日市には、今でも「大字○○△番地」という住所があります。

春日市域の場合、戦中戦後から急速な都市化・住宅化がすすみ、地番も分筆による枝番号が増えたり、反対に合筆による欠番が出たりなど、日常生活とは合わないことが多くなりました。

このため住所としての地番は、区画整理事業と連動して、その都度変更されてきました。例えば、「大字上白水△番地」の場合、大字の下に番地の付いている住所と、「上白水一丁目△番地」というように町名(上白水一丁目)の下に地番が付く住所などが出てきました。

つまり一般的には、「住所」というのは、「大字または丁目」から下の地番のことで、「地名」とはその上位の、例えば「大字上白水」、「上白水一丁目」と考えられています。そのため正式には「丁目」の数字は漢数字で表記し、「地番の数字」はアラビア数字で書くのだそうです。

話は変わって、もう1つの疑問は、現在「春日原駅」はあっても、「春日原」という地名は辞典に載っていないことです。角川日本地名大辞典で春日原と引いても春日原の名はありません。筑前国続風土記の中には「春日原」の項目があり、「春日村にあり。下(シモ)は麦野村の内に入(イ・り)たる所あり」と出てきますが、これは明確な行政界を示すものではなく、広い漠然とした地域を指した地名です。ちなみに明治初年の「字小名調(あざこなしらべ)」にも春日原という地名はありません。春日原という名前が再び現れるのは、昭和16年春日区から分離して、「春日原区」となったときです。昭和32年に町界町名地番整備事業が実施され、春日原は春日原北町、春日原東町、春日原南町となりました。その際、春日原南町の大部分と春日原東町の一部は、春日原区から分離し「春日原南区」となりました。

現在、町名からは「春日原」という名前は無くなりましたが、地区名や建物の名前、事業所名、サークル名称として、今も親しまれています。

春日市郷土史研究会 平田 善積(ひらた よしずみ)

(市報かすが 平成31年1月15日号掲載)

写真:春日原共同利用施設の外観
地区名としてのこる「春日原」

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