春日神社と「田」の地名

ページID:1010937  更新日 令和5年12月5日

神社は、村の統合の中心でした。その神社の維持や祭礼のための費用を賄う田畑がありました。春日地区には、それに関する地名が多く見られます。

「御供田(ごくうでん)」は、現在も公園の名前に残されており、春日野小学校辺りの地名です。字(あざ)を見れば、春日神社に供するための田であることがわかります。

「かわらけだ(土器田)」は、塚原にあったといわれますが、正確な場所は分かりません。「かわらけ」は素焼きの土器の意味で、弥生式土器が薄くなったようなものです。中世では宴会などの飲食のときに多く使われ、終わると破棄されていました。今でも神社のお神酒(みき)をいただくときに使われます。春日神社でも祭礼の際に使用する「かわらけ」の費用に充てるための田と推定されます。

「びしゃだ(武射田)」は、「ぶしゃだ」とも言われ、さまざまな漢字が充てられています。場所はJR鹿児島線本線の西側、春日公園1丁目辺りと考えられます。各地に、毘舎田(飯塚市八木山)、毘砂田(鞍手町室木)、飛車田(糸島市井原)、武者田(北九州市八幡西区黒崎)などがありますが、本来同じ意味です。

春日での江戸時代の記録は「武射田」となっています。これもよく意味が分かりません。

「びしゃ」、「ぶしゃ」は歩射のことです。弓を射るのは騎射と歩射があります。騎射は馬に乗って、弓を射ることです。平安時代から鎌倉時代の武士たちは、戦いのとき馬上から弓を射ていました。現在でも流鏑馬(やぶさめ)として、各地の祭礼に残っています。歩射は立って弓を射ることです。神社で弓を射ることは、悪霊を払う意味があります。

中世の村は害獣の駆除や、村の防衛のため普通に弓や槍を常備していました。若者は、日常的に弓を訓練していたと思われます。

弓は村にとって重要なもので、技術の維持のため技を競う神事が村の大事な行事としてありました。「ぶしゃだ」は、この神事の費用に充てる田だったと考えられます。

他に江戸時代の記録には、粢田(しときでん、しときだ)、直会田(なおらいでん、なおらいだ)などがあったことが、記録されています。粢は神前に挙げる餅の一種です。直会は神事に参加した者が、神の前で神酒や神饌(しんせん)をいただく行事です。これらの費用に充てるための田です。

春日地区における、春日神社の存在の大きさが分かります。

春日市郷土史研究会 寺崎 直利(てらさき なおとし)

(市報かすが 平成29年9月15日号掲載)

写真:春日神社の本殿
春日神社

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