京免

ページID:1010935  更新日 令和5年12月5日

上白水地区公民館の西側、古くからの上白水集落の一部に「京免(きょうめん)」という小字(こあざ)があります。

免は「免田」、収穫物に掛かる税を免じられた田です。京とはなんでしょうか。当時の都である、京都の意味でしょうか。京都に関係ある田畑があちこちにあるのでしょうか。都の貴族や大寺院などは、都から離れた地方において、荘園(しょうえん)などを持っていましたが、個別の小さな田畑などは所有していませんでしたので、関係はないようです。

よく似た地名に「京田」があります。「キョウデン」とか「キョウタ」と呼ばれ、旧筑前国内に字として19カ所確認でき、比較的多い地名です。ここでの「キョウ」は京ではなく、経と考えられます。お坊さんが読むお経です。

中世において、仏神は、今では考えられないほど身近な存在でした。仏神は現実に村を守る存在で、人々は堅くそれを信じていました。平穏無事や豊作を祈るために、仁王経などのお経をあげることは、村の重要な儀式でした。その費用に充てるための、田畑が経免です。村の平穏無事、繁栄は、領主にとっても利益となり、双方の利害関係は一致していました。領主は村民の懐柔のためにも、村の㆒部に免田を設けることを認めたのでしょう。長い年月の間に、本来の意味が分からなくなり、「キョウ」の漢字を表記するとき、より良い文字「京」となったと考えられます。

我が国では、地名は絶えず好字化(こうじか)の動きがあります。好字化の歴史は古く、最初に史料として残るのは、奈良時代初めの頃、和銅(わどう)6 年( 713 年)「畿内七道諸国の郡郷名好き字を着けよ」と元明(げんめい)天皇が命じたことです。その後も、延喜式(えんぎしき、平安時代の規則)に「諸国の郡里などの名は、2字を並べて用い、必ず嘉名(縁起の良い名)を取れ」と命じています。上毛野(かみつけの) 、下毛野(しもつけの) は上野、下野に、三野は美濃(みの)に、針間は播磨(はりま)となりました。郡は全て2字になりました。地名の多くが2字で良い名が多いのにはこのような歴史的背景があります。

近頃も、高度成長期以降、新規開発された住宅地に○○丘や××台が増え、市名にも外来語を使うなど、今まで考えられない地名が登場しています。しかし、これらも好き名のもとで暮らしたいという、地名の好字化の流れでしょう。

春日市郷土史研究会 寺崎 直利(てらさき なおとし)

(市報かすが 平成29年5月15日号掲載)

京免の位置を示した簡略地図
上白水の京免

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