夢の力

ページID:1011760  更新日 令和5年12月5日

夢を見るとき、昔の自分が出てきたりします。また、体が凍り付き、動こうにも動けなくなり汗をかくことも。夢は不思議なものです。正夢、逆夢、初夢など、夢に関する言葉はたくさんあります。古代から、夢は神のお告げであるという考えが、世界各地の民族にあります。

中世の日本では、仏や神は彼方(かなた)のものではなく、現実の存在でした。人々を取り巻くさまざまな事件や災害、はやり病は、神の怒りによって引き起こされていると考えられ、恐れられていたのです。慈愛に満ちる仏も、すぐ近くにいて助けてくれる存在である、と人々は考えていました。そして、夢は、神や仏が直接語り掛ける大事なお告げでした。

一つの夢が、紛争を引き起こした例を見てみましょう。

何度も取り上げた、石清水八幡宮の祠官「成清(せいせい)」は、兄の勝清(しょうせい)や、その子慶清(けいせい)と白水庄を含む宇美六庄の所有権を激しく争います。

この荘園群を所有していたのは兄弟の姉である、紀太子(きのおおいこ)でした。紛争の原因は、彼女の行いにあったようです。現存する「後白河院庁下文案(ごしらかわいんのちょうくだしぶみ、案は控えの文書や下書きのこと)」などから推察すると、初めは、紀太子が勝清に宇美六庄を譲っていたと考えられます。

しかし、その後成清にも譲り状を出したため、時の権力者後白河院を巻き込む紛争になりました。

実は、後からもらった成清が正当性を主張することに、「夢」が関与しています。

後に成清が娘に宇美六庄を譲った「検校成清譲状」の添付書類の中に、最も重要な紀太子の譲り状があります。「本領主紀太子譲状一通」です。

ただし書きに「依夢告載起請(むこくによりきしょうをなす)」とあります。白水庄の本領主が紀太子で、夢告(夢のお告げ)により成清に譲ったとあります。

夢告とは大きな力を持っていました。中世の夢告について、「怪しいものたちの中世」(本郷恵子(ほんごうけいこ)著、角川選書)によると、「夢は神仏や霊からの告知とみなされた」とし「変節と非難されそうな行動であっても、夢を媒介にすればかなりの範囲まで許容された」と書かれています。

成清は、夢を利用することを姉に頼み、大事な財産である白水庄を含む宇美六庄を手に入れるために、勝清に譲ったことを反故にしようと画策したのではないかと考えます。

中世では、夢は私たちの思う夢と異なり、はかないものではなく現実的な力でした。

春日市郷土史研究会 寺崎 直利(てらさき なおとし)

(市報かすが 令和元年11月15日号掲載)

写真:宇美八幡宮の鳥居
石清水八幡宮は、宇美八幡宮(写真)を支配することにより宇美六庄を手に入れました

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