秋をする
ページID:1013121 更新日 令和5年12月5日
「市報かすが」令和3年5月15日号では、「四月する」という言葉を紹介しました。今回は、同じく農作業を意味する「秋をする」という言葉を紹介します。
農作業には、農繁期(のうはんき)と呼ばれる繁忙期(はんぼうき)が1年に3回あります。旧暦4月の「麦刈り」、旧暦5月の「田植え」、もう一つが「稲刈り」です。「四月する」は麦刈りを、そして「秋をする」は稲刈り一連の農作業のことを言います。昔は「今、秋ばしよるけん、手の外されんたい」などと使っていました。
現在の稲刈りは、コンバインと呼ばれる機器を使い、刈り取りから脱穀(だっこく)まで全て1人で作業することができます。しかし、昔の稲刈りは一家総出の大仕事でした。
秋が深まると、田園一帯は黄金色に染まり、稲穂が風に吹かれ、まるで大海のうねりのようでした。しかし、この豊かな稲を、鎌で一株ずつ刈る作業は、大変な重労働です。そして、刈ったら終わりではなく、稲が雨や夜露で濡れないよう、結わえて稲束にし、稲小積(いなこづみ)を作りました。朝はまだ暗いうちから、夕方は一番星が輝くまで、昼食は弁当を、昼食と夕食の間には「お茶の子」という軽食を田んぼの中で取り、一日中作業は続きました。おばあちゃんや子どもが弁当を作ったり運んだりし、大人たちは総出で作業を行います。現在では、田んぼで大勢の人が働いている光景は見られなくなりましたが、昔の農繁期の田んぼは、人や牛馬で賑やかなものでした。
稲刈りが終わることを「鎌上げ(かまあげ)」と言います。鎌上げの後は、稲藁(いなわら)から籾(もみ)を落とすため、「稲扱ぎ(いねこぎ)」という脱穀(だっこく)作業を行いました。稲扱ぎが終わると、籾が腐らないよう、毎日むしろの上で籾干し作業をし、乾いた籾は、籾専用の「とびつ」という大きな貯蔵庫に収納しました。
稲の収穫作業は、収穫が早い早稲(わせ)刈りに始まり、収穫が遅い晩稲(おくて)の収穫まで、10月下旬から1カ月以上に及びました。そして、地域一体の米の収穫作業が終わる頃を「秋上がり(あきあがり)」と言いました。「秋をする」のは農家にとって大変なことですが、それだけに秋上りの農村の雰囲気は、晴れやかなものがありました。
秋上りになると、どこの村でも「秋ごもり」というお祭りが行われました。氏神様に各家庭から御馳走(ごちそう)を持参し、お年寄りから子どもまでみんなで食べるお祭りを「おこもり」と言います。男性は酒が入り、子どもははしゃぎまわり、境内はにぎやかな雰囲気に包まれました。秋ごもりは、神様に豊作を感謝する収穫祭と言えるものですが、村内(むらうち)の慰労会という意味もあったのかもしれません。
収穫祭と言えば、日本には新嘗祭(にいなめさい)という祭祀(さいし)があります。新嘗祭は、天皇が新穀の恵みを天地の神々に感謝し、自らも食する儀式で、毎年11月23日に行われています。昭和22年までは祭日とされていましたが、現在は「勤労感謝の日」と改称され、国民の祝日となっています。
春日市郷土史研究会 平田 善積(ひらた よしづみ)
(市報かすが 令和3年11月15日号掲載)
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