二百十日

ページID:1013120  更新日 令和5年12月5日

近年あまり耳にしなくなった言葉の一つに「二百十日(にひゃくとおか)」というものがあります。これは立春から数えて210日目という意味で、新暦では9月1日頃になります。令和3年(掲載当時)では8月31日です。

二百十日は、農家にとって稲が開花する大事な時期ですが、同時に農作物が台風の被害を受けやすい時期でもあり、厄日として扱われていました。

明治34年(1901年)頃に書かれた『春日村是(かすがそんぜ)』という資料によると、当時の春日村430戸のうち、兼業も含めると実に約90%が農家でした。農家の年収の大部分は米によるものだった時代ですから、台風による甚大な被害は、農家はもちろん、地域経済に大きなダメージを与えました。昔の多くの人々にとって二百十日は、本当に恐ろしい、警戒すべき日だったのです。

このほかに「二百二十日(にひゃくはつか)」や「八朔(はっさく)」という言葉もあります。9月11日頃をさす二百二十日も、台風が来る恐ろしい日として、当時の子どもたちでさえ普段から使っていました。

八朔は、八月朔日(さくじつ)の略で、朔は新月のことです。旧暦は、新月の日を月始めとしていました。つまり八朔は、旧暦の8月1日を意味します。新暦では、令和3年(掲載当時)は9月7日です。

二百十日、二百二十日、八朔は「農家の三大厄日」とされました。そのため、昔から農作祈願や風鎮め(かぜしずめ)の祭りなどが行われてきました。とはいうものの、八朔は新暦に換算すると毎年日付が変わってしまうことから、徐々に忘れ去られているようです。

この原稿を書く前、若い世代の数人に二百十日について尋ねたところ、その意味を知っている人は誰もいませんでした。しかし、夏目漱石の短編小説『二百十日』を挙げた人がいて驚きました。

『二百十日』は阿蘇山に登ろうとする2人の青年の物語です。結局、二百十日の嵐のため登頂を断念するのですが、2人の軽快な会話の中に、富裕層への不満が度々現れます。

漱石は、この後に『野分(のわき)』という小説を発表しています。この作品でも、終盤の文学士による演説の場面で、当時の社会制度や特権階級に対する批判が展開されます。しかし、どちらの作品も痛烈な社会風刺を背景としつつ、登場人物の友情や、理想を追求する姿が描かれているのです。

「野分」とは「二百十日・二百二十日頃に吹く暴風」という意味です。ともに嵐を意味するこの2つの小説は漱石の作品の中では決して有名とは言えませんが、その後の漱石の作家としての方向性を示す原点とも言われています。

春日市郷土史研究会 平田 善積(ひらた よしづみ)

(市報かすが 令和3年9月15日号掲載)

このページに関するお問い合わせ

文化財課 整備活用担当
〒816-0861
福岡県春日市岡本3-57
奴国の丘歴史資料館1階
電話:092-501-1144
ファクス:092-573-1077
文化財課 整備活用担当へのお問い合わせは専用フォームへのリンク