2月の捨て木
ページID:1012452 更新日 令和5年12月5日
今から約40年前、春日市郷土史研究会は、春日市全域におよぶ民俗調査を実施しました。1980年から6年間かけて行ったその調査の結果は、旧村(春日・小倉・須玖岡本・上白水・下白水)ごとにまとめた5冊と、市全域を網羅する1冊の全6冊からなる報告書に仕上げました。
「むかしの生活誌」と題したその報告書を読み返してみると、その内容はまさに「むかし」の生活のことが書かれており、現在の若い人たちが知らないことも多いのではないでしょうか。そこで、この「むかしの生活誌」から、かつての春日市の、四季折々の「むかし」の暮らしを紹介していこうと思います。
第1回目は「2月の捨て木」ということわざから。「植樹は2月にせよ。2月のうちならば、苗木は放っておいても育つものだ」という意味のことわざは、3月15日号(掲載当時)で紹介するのにぴったりです。というのも、この「2月」とは旧暦のことであり、現在の暦では3月頃にあたるのです。ちなみに、令和3年(掲載当時)の3月15日は旧暦では2月3日です。
むかしは、2月(現在の3月頃)に入ると、春日市域や周辺の山のあちこちから、毎日のように幾筋もの煙が立ち上っていました。植林のための「山焼き」が行われていたのです。山といえば、かつての旧5村には、それぞれ「モヤイ山」がありました。「モヤイ」とは、「共有」という意味で、モヤイ山は村の共有財産でした。その多くは、「タキモン山」と呼ばれるもので、薪(たきぎ)のこと、つまり薪をとるための山です。このような山は、村内(むらうち)にはもちろん、現在の那珂川市の梶原山や大野城市の牛頸山にまで散在していました。山焼きを終えると、苗木を植えます。苗木はスギやヒノキが主でしたが、山の尾根など、土地がやせて乾燥しやすい場所にはマツを植えました。
春先のこの時期は農作業も少なく、山仕事には絶好の季節でした。当時は、農家では子どもも立派な働き手です。中学生ともなると、大人が唐鍬(とうぐわ)で掘った穴に苗木を1本ずつ入れ込み、根の上に土をかぶせていきました。こうして植えられた苗木は、その後放ったらかしにしていても、風が吹いても日照りが続いても、確実にねづくのです。「2月の捨て木」とは、このような暮らしの中から、先人の知恵から生まれたことわざなのですね。
先人の知恵と言えば、思い出すことがあります。数年前、7月も終わろうかという真夏の日、知り合いの庭師さんが庭木を植え替えていました。「今ごろ大丈夫なのですか。枯れませんか」と尋ねると、庭師さんは「大丈夫ですよ」と言って続けました。「木をだますのです。木は、冬になると葉を落としますよね。だから、枝葉を切り落とすと、木はその時から冬だと思い込むのです」
時代が変わっても、先人の知恵は生き続けています。とはいえ、「むかし」の春の風物詩であった山焼きが見られなくなったのは、寂しい限りです。
春日市郷土史研究会 平田 善積(ひらた よしづみ)
(市報かすが 令和3年3月15日号掲載)
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