諸岡川(2)

ページID:1010915  更新日 令和5年12月5日

諸岡川(もろおかがわ)はどこからどこへ流れているのか。ドンポ池からもと来た道を戻り、三差路を左折してすぐ右に入ると、左手に農家風の池があります。その前にある水路、ここが目で見える諸岡川の始まりです。

この辺りは浦の原(うらのはる)といい、昔から集落があったところです、西側の裏山には浦の原八幡宮と観音堂があります。川は3面コンクリート張りになりましたが、道路側には田んぼや畑が広がり、手掘り水路も見え、つい50~60年前まで春日市のほとんどが農村地帯であったという風景が今も残っています。

クリーンパーク南部工場の前の道路に出ると、正面に見えるのが新しくできた公園と大土居公民館です。川はその裏手の田んぼに沿って流れ、いけいけ通りの下をくぐり左に折れ、小さな道に沿ってまっすぐ伸びています。その先に毛勝親水公園があります。

市内の親水公園はすべて諸岡川沿いにあり、上流から毛勝、昇町(いきいきプラザ付近)、須玖南(春日中付近)の各親水公園と、日の出ふれあい公園(徳洲会病院の東側)の4カ所。特に毛勝親水公園付近の水路は、自然に近い石積みの護岸が見事です。

毛勝親水公園を出た諸岡川は、春日中央通りの下をくぐり、ほぼまっすぐ昇町、須玖方面へ向かいます。国指定特別史跡大土居水城跡の少し先に紅葉ヶ丘西の住宅地へ行く道路があります。そこに架かっている橋の名前が変わっていて、川の名前は「飛瀬川(とびせがわ)」なのに「原田川橋(はるだがわばし)」と書かれています。

原田川というのはこの辺りの昔の地名(小字)です。かつて原田川の北側に飛瀬という地名がありました。川の名前が飛瀬川なのは、たぶんこの辺りに昔から住んでいた人がそう呼んでいたからでしょう。

川の名前が場所によって変わっているのは、川が生活と密接に結びついていたからです。春日小学校付近では「お汐井(しおい)川」、昇町親水公園付近では「下井手(しもいで)川」、赤井手(あかいで)古墳がある付近では「赤井手川」と呼んでいました。

春日市郷土史研究会 小林 昌一(こばやし しょういち)

(市報かすが 平成26年8月15日号)

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