春日の歴史
ページ番号1002187 更新日 令和6年3月21日
旧石器時代(約4~3万年前~約1万5千年前)
今からさかのぼること数万年前、日本列島ではすでに人類の生活が営まれていました。春日市域でも、1万年以上も前の旧石器時代の文化の存在を示す遺跡が各所から発見されています。新幹線博多車両基地内の門田、柏田遺跡から出土した旧石器は400点余り。背後に牛頸(うしくび)山塊の樹林地、前面には那珂川の平地を通じ博多湾に接する春日市の西南部は、古代の原始生活には格好の環境にあったことがうかがえます。自然は豊かで、人々は、木の実を採り、動物を追い、魚を捕えていたことでしょう。
縄文時代(約1万5千年前~約3,000年前)
土器の表面に縄目などのさまざまな文様をつける手法を特徴とする縄文土器。紀元前1万5,000年から弥生土器が生まれる紀元前500年までのおよそ1万5,000年間という時間は、現代人にはとてもイメージできないような時の重さを持っています。春日市では縄文時代の遺跡が数カ所発見されています。そのうちの門田遺跡からは最も古い時期に属する爪形文土器が、柏田遺跡からは縄文後期の住居跡が見つかっています。
弥生時代(紀元前5世紀~紀元後3世紀中頃)
急激な人口増加は現在の春日市が最初というわけではなさそうです。弥生時代の人口の拡大も爆発的なものがあったようで、『後漢書』でいう「「奴国」の王」の墓が所在する春日丘陵一帯は、遺跡が高密度に分布しています。後にここが弥生銀座と呼ばれることになったのもうなずけます。
またこの頃になると、わが国最古級の水田稲作遺構として有名な板付遺跡を身近に持ち、農耕の先進地として高水準の文化が存在していたと思われます。しかしその一方で、青銅器やガラス製品、あるいはそれらの鋳型が集中的に出土しており、この時代の春日が農耕のみならず工業面でも優れていたことを物語っています。
古墳時代(3世紀中頃~7世紀末)
4世紀ごろからは各地の豪族の支配が相次ぎました。彼らの領地を見下ろす場所に墳丘が築かれ、春日市域には古墳や古墳群が数多く見られます。なかでも、那珂川流域の段丘上には前方後円墳が集中していますが、春日市域には日拝塚古墳など6基が確認されています。全国的には538年に百済(くだら)から仏教が伝来し、607年に法隆寺が建立、645年には大化の改新が始まりました。
奈良時代(西暦710年~西暦794年)
わが国が統一国家になってから、大宰府政庁が置かれ、九州の政治、経済、文化の中心地となりました。768年、藤原氏の氏神である春日大明神を大和国から迎え入れ、春日神社が創建、ここに初めて春日という地名がおこることになりました。
東大寺の大仏開眼が752年、平安遷都が794年。この頃、田地を中心とした私的所有地である荘園制が始まっています。
平安時代(西暦794年~西暦1185年)
8世紀以降、博多は大陸と日本を結ぶ貿易基地として、政治経済の重要性を高めていきます。それに伴って、九州でも土地の争奪戦が繰り広げられ、春日市域もたびたび領主が変わっていたようです。
鎌倉時代(西暦1185年~西暦1333年)
平安末期から鎌倉にかけて、白水、小倉、須玖地域に荘園が成立しました。白水荘は石清水八幡宮領、小倉荘は宇佐八幡宮弥勒寺領、須玖は太宰府天満宮(安楽寺)領と考えられています。また承天寺末寺として上白水に乳峰寺、春日に大光寺、下白水に蓮華寺が創建されました。
この時代、1274年の文永の役と1281年の弘安の役と、九州では2度の元軍の襲来がありました。その際、大風が吹いて日本を救ったのは有名な話です。
南北朝時代(西暦1336年~西暦1392年)
この頃、宮方と小弐頼尚の戦いが起こり、上白水の博多承天寺の末寺である乳峰寺が焼失しました。その跡からはそのころ造られたと見られる板碑と呼ばれる石碑が多数発見されています。これは当時の戦没者の供養塔かもしれません。
室町時代(西暦1336年~西暦1573年)
室町時代の末期、春日市域には春日、須玖、小倉、白水の4か村があったといわれ、これらの村は中世の在地領主によって細分化され、収奪の対象になっていたようです。農民にとっては苦悩の時代といえるでしょう。
安土桃山時代(1573年~西暦1603年)
戦国末期、九州では豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏が互いに覇権を争っていました。貝原益軒の「筑前国続風土記」には下白水に筑紫氏の出城であった天浦城が置かれて、島鎮慶(しましずよし)という武将がいたことが記載されていますが、手掛かりが少なく詳しいことは分かっていません。そして島津勢が、1586年に、大友勢の高橋氏が守る岩屋城を攻めたとき、原村と春日神社を焼失させました。1590年には豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ九州を平定しましたが、長い戦乱のため民衆は経済的にも弱り果て、春日神社の再建はしばらく後のことになります。
江戸時代(西暦1603年~1867年)
1600年、関ヶ原の戦いで勝った徳川家康が1604年、江戸幕府を開きます。幕府の職制を固め、将軍を頂点とする中央集権制の完成です。1627年には関ヶ原の戦いで手柄を立てた黒田長政の家老、黒田美作一成が、長い間荒廃していた春日神社を再興しました。また、藩の増産政策としてかんがい用の溜め池や用水路が盛んに造営され、須玖の武末新兵衛による1664年の白水池の改修や、小倉の大庄屋格、白水喜四郎による小倉用水はその代表的なもので、市域には約60の溜め池が出現しました。1708年、下白水と上白水は黒田藩の給地としない藩の直轄地に指定されています。御旗組八軒を置き、幟町(昇町)の地名も生まれました。
江戸時代は、いく度となく凶作にみまわれています。なかでも最大は享保の大飢饉です。1732年の前後3年間の餓死者は10万余人。筑前国総人数調べによると3分の1が命を落としたとあり、この人的な痛手は明治維新まで1世紀以上の間回復できなかったとされています。
明治時代(西暦1868年~1912年)
1868(明治1)年、江戸は東京と名を変え、その後、版籍奉還、廃藩置県が実施されました。
1869(明治2)年3月、新政府は各府県へ「諸府県施政順序」を通達。新政府の急務は新しい教育によって人心の変革をはかり、西洋にひけを取らない技能と技術を身につけた国民の育成でした。しかし、政府が財源を確保せず経済的負担が非常に大きかったために、その思惑とは裏腹に公立小学校の数はなかなか増えませんでした。そこで政府は1872(明治5)年、誰でも教育を受けられるように「学制」を制定します。翌年の1873(明治6)年、春日市域では須玖小学校が創立。那珂郡67の村のうち、須玖村を中心とした11村の教育共同施設でした。
ただ、全てがうまく運んだわけではなく、労働力としての子どもを奪われ学費負担も重なって、同年に筑前竹やり一揆が起きています。旧筑前国全域に広がった、明治年間におけるわが国最大の農民騒動で、福岡県内の小学校が各地で破壊されました。今では考えられないようなできごとです。このような庶民の実態を踏まえて、政府は「教育令」、「小学校令」と教育制度の整備を進めます。
1889(明治22)年4月1日「市制・町村制」が施行され、福岡県には福岡市と久留米市が誕生しました。春日市の前身である春日村は、春日、上白水、下白水、小倉、須玖の5つの村が合併して那珂郡春日村としてスタートしています。役場は下白水昇町にあり、初代村長は平野 五郎次さんでした。この年に「大日本帝国憲法」が発布され、翌年第1回の帝国議会が開かれています。
藩政時代に培われた農業基盤は明治になって花開き、福岡市周辺の農家は水田二毛作と牛馬耕技術によって全国的な先進地となりました。住民のほとんどが農業に従事する純農村のたたずまいを強めていく春日村も、1913(大正2)年にはようやく須玖区に電灯がともります。
大正時代(西暦1912年~1926年)
春日区、小倉区に電灯がともるのが1914(大正3)年、上白水、下白水は1915(大正4)年。わずか90年ほど前のことなのに、現代生活とは雲泥の差があります。こうした春日に急激な変化が訪れるのは1924(大正13)年、後に西日本鉄道となる九州鉄道の福岡-久留米間が開通し、春日原駅を設置したころからです。駅の西側の広大な土地に完成した総合運動公園は野球場をはじめラグビー場やテニスコートも備えていました。そこでは野球、陸上、球技、相撲などの各種の競技大会が行われていました。戦後は、福岡市に平和台球場ができるまではプロ野球も行われ、スポーツの中心地でした。
また、豊川稲荷や営林署の種苗場ができ、桜並木に囲まれた龍神池は夏の花火大会でにぎわいました。そのほか競馬場やイチゴ園もあって、まさに福岡の一大レジャースポットとして一年中大勢の人々が訪れていたのです。1934(昭和9)年には日米陸上競技会が催されています。
昭和時代(西暦1926年~1989年)
第2次世界大戦が勃発し、世情が緊迫の度を高めるにつれて、春日を取り巻く状況も一変します。競馬場には造兵廠(しょう)春日分廠が置かれ、渡辺鉄工所は九州飛行機工場に変わり、東部地区には欽修、筑紫荘、春日荘など数多くの工員団地が生まれました。戦後、これらの工場跡は米軍板付基地(春日原基地)に姿を変え、27年後の返還まで基地の街として活況を呈することになります。
1953(昭和28)年の町制施行で春日村から町になって以来、市街地の整備や好立地が手伝って急激に人口が増加。春日は福岡都心部で働く勤労者の良好な住宅都市として発展を開始します。テレビ放送が始まって街頭テレビに人だかりができたのもこの頃。高度経済成長のうねりが少しずつ日本を包もうとしていました。
1972(昭和47)年の4月1日。春日町は3万人市制特例法により市になります。同年6月、返還された米軍基地跡は、春日公園や春日高校、九州大学筑紫キャンパス、住宅地へと変わり、市全体を見渡しても教育文化施設、福祉施設、都市公園などが次々と整備されています。また、春日のシンボルを守る溜池保全条例を施行するなど、環境保護への取り組みも活発になってきました。
平成時代(西暦1989年~)
1989年(平成元年)にJR春日駅、1990年(平成2年)にJR博多南駅が相次いで誕生し、ますます交通の便がよくなりました。1990年(平成2年)には、とびうめ国体のサッカー競技も開催。1992(平成4)年にはJR春日駅そばに新市庁舎が完成しました。
1994年(平成6年)にはいきいきプラザ、1995年(平成7年)にはふれあい文化センター、2004年(平成16年)にすくすくプラザが完成し、施設も充実。1996年(平成8年)には、人口が10万人の大台に乗り、春日市は未来へ向け、ますます発展しています。
年表
弥生時代
- 57年
- 倭奴国王が後漢に遣使して金印を授かる
- 239年
- 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に朝貢する
古墳時代
- 527年
- 筑紫国造磐井の乱
飛鳥時代
- 664年
- 水城が築かれる
鎌倉時代
- 1192年
- 石清水八幡宮検成清、白水荘ほか6カ所を女子紀氏に譲る
- 1220年
- 石清水八幡宮検校祐清、小倉荘ほか4カ所を譲る
- 1242年
- 石清水八幡宮房清、白水荘ほか6カ所を法眼房誉に譲る
- 1248年
- 乳峰寺(威徳院)上白水村、このころ蓮華寺下白水村に創建
- 1271年
- このころ、大光寺、春日村に創建
- 1302年
- 白水五朗入道生願、鎮西探題の使節として白水の名がみられる
室町時代
- 1352年
- 安楽寺領として、須玖村武末名が記される
- 1532~1554年
- このころ、無量寺、小倉村に創建
安土桃山時代
- 1586年
- 春日神社、島津勢の兵火により焼失
- 1587年
- 豊臣秀吉(奉行の名で)、那珂郡へ禁制をしく
- 1599年
- 小早川秀秋、春日村の内100石を承天寺、200石を聖福寺へ寄進
江戸時代
- 1612年
- 黒田一成、春日村知行領主となる。春日村の内757石
- 1627年
- 黒田一成、春日神社を再建
- 1630年
- 黒田光之(三代藩主)春日村で養育される
- 1638年
- 下白水村飛背に福岡藩御旗組8軒福岡より移住させられる(昇町の起こり)
- 1641年
- 長円寺、木仏寺号を許される
- 1661年
- この頃浄運寺、木仏寺号を許される
- 1662年
- 黒田光之春日神社へ供田15石寄進
- 1664年
- 武末新兵衛、白水大池改修
- 1681年
- 須玖薬師如来を像立する
- 1688年
- 吉村清五郎熊野神社へ狛犬奉納
- 1692年
- 黒田一貫、春日神社へ神田一反を寄進
- 1696年
- 春日神社再建、遷座
- 1702年
- 須玖村老松神社(上の宮)再興される
- 1704年
- 小倉薬師堂創建
- 1706年
- 大土居八幡宮、白水八幡宮より勧請
- 1709年
- 黒田綱政(四代藩主)春日神社へ石灯籠寄進
- 1710年
- 黒田一利、春日神社へ石鳥居寄進
- 1719年
- 浦ノ原八幡宮・厳島神社、白水八幡宮より勧請
- 1724年
- このころ無量寺、須玖村へ再興
- 1743年
- 黒田継高(六代藩主)春日神社へ石灯寵寄進
- 1747年
- 秋月長貞(秋月四代藩主)春日神社へ猿田彦面寄進
- 1760年
- 白水大池の井樋崩れ、七か村が水害にあう
- 1771年
- 小倉村村中庚申塔造立
- 1777年
- 武末種易、老松宮(上の宮)へ絵馬奉納
- 1781年
- 小倉村宇賀大明神(弁財天)堂宇創建
- 1791年
- 厳島神社石殿造立
- 1809年
- 小倉村三界万霊塔造立
- 1832年
- 小倉村大南に馬守護神石碑造立
- 1838年
- 白川伯王稲荷神社、京都伏見大社より勧請
- 1839年
- 武末新兵衛供養塔造立
- 1854~1860年
- このころ白水喜四郎小倉用水路竣工
明治時代
- 1889年(明治22年)
-
- 須玖村、春日村、小倉村、上白水村、下白水村が合併し、新春日村となる
- 村役場を昇町に置く(世帯数416、人口2389人)
- 1896年(明治29年)
- 那珂郡が廃止され、筑紫郡春日村となる
- 1899年(明治32年)
- 須玖村岡本で奴国王と考えられるかめ棺墓が発見される
- 1902年(明治35年)
- 春日小学校創立
- 1906年 (明治39年)
- 上白水と安徳村中原(現那珂川市)との間にため池紛争
大正時代
- 1913年(大正2年)
- 須玖地区に電灯がともる
- 1922年(大正11年)
-
- 岡本辻で銅矛9本出土
- 春日村信用組合創立
- 1924年(大正13年)
-
- 九州鉄道(現在の西鉄天神大牟田線)が開通し、春日原停留所が設置される
- 春日原総合運動場開設
昭和時代
- 1934年(昭和9年)
- 春日原総合運動場で、日米陸上競技大会が行われる
- 1940年(昭和15年)
- 小倉造兵廠(しょう)春日分廠開設
- 1941年(昭和16年)
- 沖、野添地区九州飛行機拡張のため移転
- 1945年(昭和20年)
- 春日分廠跡に、米軍進駐
- 1947年(昭和22年)
- 春日中学校が創立される
- 1948年(昭和23年)
- 桜ヶ丘に三筑中学校が設置される
- 1950年(昭和25年)
-
- 春日放送局が開設される
- 大和町に警察予備隊福岡駐屯部隊が設置される
- 1953年(昭和28年)
-
- 町制施行(世帯数2943、人口14076人)
- 中央公民館が設置される
- 1959年(昭和34年)
-
- 熊野神社の銅矛鋳型が国指定重文に指定される
- 春日神社の婿(むこ)押し祭りが、県の無形文化財に指定される
- 1961年(昭和36年)
- 上水道の給水が開始される
- 1963年(昭和38年)
- 春日町章が選定される
- 1963年(昭和39年)
- 「町政だより」第1号が発行される
- 1966年(昭和41年)
- 市役所庁舎完成
- 1971年(昭和46年)
- 第1次総合計画 「健康で文化的な住宅都市の創造」
- 1972年(昭和47年)
-
- 市制施行(世帯数13947、人口45016人)
- 原町にあった板付基地春日原宿舎から米軍撤退する
- 市民プールがオープンする
- 1973年(昭和48年)
-
- 市民スポーツセンター体育館がオープンする
- 筑紫豪雨で被災(春日市内で1780戸家屋浸水)
- 1974年(昭和49年)
-
- ため池保全条例が施行される
- 大土居の水城跡が特別史跡に指定される
- 第1回春日市文化祭が開催される
- 1975年(昭和50年)
-
- 春日市社会福祉協議会による老人給食(現福祉給食)が始まる
- 春日市体育協会が発足する
- 1976年(昭和51年)
-
- 日拝塚古墳が国史跡に指定される
- 「婿押し祭り」が県の無形民俗文化財に指定される
- 1977年(昭和52年)
-
- 春日市民のことば、市の木「ナギの木」、市の花「ユリ」が決まる
- 春日那珂川水道企業団が設立される
- 第1回市民祭り「あんどん祭り」が始まる
- 1978年(昭和53年)
-
- 県立春日高等学校が開校する
- 公共下水道の供用が始まる 春日市文化協会が発足する 天神山の水城跡が特別史跡に指定される
- 1979年(昭和54年)
-
- 社会福祉センターがオープンする
- 県立春日公園の造成が始まる
- 1980年(昭和55年)
- 九州大学筑紫キャンパスの建設が始まる
- 1981年(昭和56年)
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- 第2次総合計画「健康と文化の公園都市」
- 福岡市南部清掃工場が完成する
- 須玖児童センターがオープンする
- 老人福祉センター「ナギの木苑」がオープンする
- 1982年(昭和57年)
-
- 「嫁ごの尻たたき」が37年ぶりに復活する
- 市の当初予算が100億円の大台に乗る
- 文化会館がオープンする
- 第1回春日市少年の船で400人が沖縄研修へ参加する
- 1983年(昭和58年)
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- 春日市情報公開条例が制定される
- 西鉄春日原駅が急行停車駅となる
- 勤労青少年ホームがオープンする
- 1984年(昭和59年)
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- 老人下宿「幸の里」がオープンする
- 春日市個人情報保護条例が制定される
- 1985年(昭和60年)
- 春日市シルバー人材センターが発足する
- 1986年(昭和61年)
-
- 新ため池保全条例が施行される
- 岡本遺跡が国史跡に指定きれる
- 1987年(昭和62年)
- 第1回健康まつリが開催される
- 1988年(昭和63年)
- 第1回春日市表彰式が開催される
平成時代
- 1989年(平成元年)
-
- JR春日駅が誕生する
- 第1回弥生の里フエスタが開催される
- 1990年(平成2年)
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- 第3次総合計画「感性発信都市・かすが」
- JR博多南駅が誕生する とびうめ国体が開催される
- 1991年(平成3年)
-
- 白水大池公園が開園する
- 西スポーツセンターがオープンする
- 1992年(平成4年)
-
- 第1回スポーツフエスタが開催される
- 原町に新春日市庁舎が完成する
- 1994年(平成6年)
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- 毛勝児童センターがオープンする
- いきいきプラザがオープンする
- 1995年(平成7年)
-
- ふれあい文化センター・市民図書館がオープンする
- ユニバーシアード福岡大会が開催
- 「春日の婿押し」が国の重要無形民俗文化財に指定される
- 1996年(平成8年)
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- 春日市野外活動場がオープンする
- 人口10万人を超える
- 春日市国際交流協会が設立される
- 第1回市民福祉大会が開催される
- 1997年(平成9年)
- 春日市が自治大臣表彰を受賞する
- 1998年(平成10年)
-
- 光町児童センターがオープンする
- 奴国の丘歴史資料館がオープンする
- 市民福祉大会、健康まつり、子どもまつりを統合して、「いきいきフェスタ」が始まる
- 1999年(平成11年)
- 下水道の普及率100パーセント達成
- 2000年(平成12年)
-
- 「ファミリー・サポート・センターかすが」がスター卜する
- 市民スポーツセンター温水プールが完成する
- 福祉ぱれっと館が完成する
- 須玖・岡本遺跡が国史跡に指定される
- 2001年(平成13年)
- 第4次総合計画「輝き ふれあい 安らぎの都市 かすが」
- 2003年(平成15年)
- コミュニティバス「やよい」が運行を開始する
- 2004年(平成16年)
- すくすくプラザがオープンする
- 2005年(平成17年)
-
- 春日市教育支援センターがオープンする
- 春日まちづくり支援センターがオープンする
- 2006年(平成18年)
- 白水小学校が開校する
- 2007年(平成19年)
- 北スポーツセンターNHKラジオパークがオープンする
- 2009年(平成21年)
- 白水児童センターがオープンする
- 2011年(平成23年)
-
- 男女共同参画・消費生活センターがオープンする
- 白水大池公園星の館がオープンする
- 第5次総合計画「住みよさ発見 市民都市かすが」
- 弥生の里かすが奴国の丘フェスタが開催される
- 2012年(平成24年)
- 第1回全国コミュニティ・スクール研究大会が開催される
- 2013年(平成25年)
- 全国高等学校総合体育大会が開催される
- 2014年(平成26年)
- 春日警察署開設
- 2016年(平成28年)
-
- 総合スポーツセンターがオープンする
- 子ども・子育て相談センターがオープンする
- 2017年(平成29年)
- 春日市ブランドイメージを「みんなで春をつくろう」に決定する
- 2018年(平成30年)
- 東京2020オリンピック聖火リレールート通過地に選定
令和時代
- 2019年(令和元年)
-
- ラグビーワールドカップ2019TM日本大会の公認チームキャンプ地となる(アイルランド・カナダ・フランス)
- 春日市ウェブサイトリニューアル
- 2020年(令和2年)
-
- 日本遺産「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」に春日市内の文化財が追加される
- 春日市LINE(ライン)公式アカウントを開設する
- 2021年(令和3年)
-
- 第6次総合計画「住みよさ実感都市 かすが ~つながる はぐくむ 支え合う~」
- 温水プールがリニューアルオープンする
- 2022年(令和4年)
-
- 古文書2件が市指定文化財となる
- 市制施行50周年
- 『春日市史(平成編)』刊行
- 西鉄天神大牟田線(春日原駅~下大利駅)が高架化
- 春日新50年プラン
- 2023年(令和5年)
-
- ウトグチ瓦窯跡出土の瓦などが市指定文化財となる
- 春日西多目的広場公園オープン(新幹線の見える丘)
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