日本野球聖地・名所150選認定「春日原球場跡」

ページ番号1010559  更新日 令和4年7月20日

令和4年(2022年)は野球がアメリカから日本に伝来して150 年に当たります。日本野球150年の歴史の中で、全国各地で日本の野球を支えてきた場所があります。かつて大声援がこだました球場。今の日本球界の繁栄は全国各地のさまざまなところでの出来事から生まれ、育まれました。

この度、一般社団法人日本野球機構などが主催する野球伝来「150年」記念事業「日本野球聖地・名所150選」に「春日原球場跡」が認定されました。

皆さんは、「春日原球場」を知っていますか。今から約98年前、現在の春日市春日原北町にその球場は誕生し、西鉄クリッパーズや初期西鉄ライオンズの本拠地として、1953年まで存在しました。「元祖二刀流 ベーブ・ルース」が来場するなど、九州野球のメッカとしても知られた場所です。

「春日原球場」について

1924年に九州鉄道(現西鉄天神大牟田線)の開通に合わせ、陸上競技場とともに開場したもの。当初は住宅地にする予定が昭和不況で断念したという。球場には5000人収容のスタンドがあり、中等学校野球大会の福岡県大会も行われた。

プロ野球は西鉄ライオンズが春季キャンプを行ったほか、一軍公式戦を1948年から1953年の間に28試合開催。1952年3月21日に西鉄─近鉄の開幕戦も行った(5-1で近鉄の勝利)。同年、西鉄ライオンズは春日原で12試合を行いシーズン最終戦も春日原だった。1953年がラストイヤーだが西鉄ライオンズはこの年の福岡開催はほぼ平和台で春日原が2試合だったが、最終戦は春日原で東急相手に9-6と勝利している。同年末で閉鎖され跡地は住宅地となる。

春日原球場跡地 位置図
春日原球場跡地 位置図
※ 当時の資料を基に作成したものであり、およその位置になります。
イラスト:大正13年(1924年)頃の春日原球場周辺図
大正13年(1924年)頃の「春日原球場」周辺

九州野球のメッカ(春日市史中巻第六編近代より抜粋)

約2ヘクタールの農業用溜池を埋め立て、龍神池の南側、線路の西側の春日原北町から春日原東町にかけてつくられた。九州野球のメッカとして、少年野球、中等学校大会、大学高専大会、都市対抗などが催され、主要な大会には電車運賃の割引が行われた。

シーズンオフには仮設スタンドを設け、自動自転車(オートバイ)競走、武道大会が催され、記念すべき事業としては、ベーブ・ルースの来場や、全日本柔道東西対抗大試合(昭和11年)などがあった。

※ 当時の「春日原球場」の様子は、次のリンクを確認してください。

全日本柔道東西対抗大試合記念碑について

昭和11年「春日原球場」を会場として、日本全国を東西に二分して柔道大会が開催されました。これを記念して建てられた石碑が市庁舎議会棟東側にあります。

この記念碑の題字を揮毫したのが、講道館柔道の創始者であり、柔道・スポーツ・教育分野の発展に尽力した「柔道の父」また「日本の体育の父」とも呼ばれる、嘉納 治五郎(かのう じごろう)です。

野球伝来150年記念事業 日本野球聖地・名所「150選」について

2022年は、1872年に外国人教師として来日したアメリカ人のホーレス・ウィルソンが日本に野球を伝えてから150年という記念すべき節目の年です。野球をする、観る、支える、野球を愛するすべての人に、日本野球のこれまでの歴史を知ってもらい先人たちの偉業に感謝し敬意を表すこと、いま日本に野球があることに感謝すること、日本の野球文化をさらに醸成すること、将来の野球人を育成することを目的として、事業が実施されます。

主催:公益財団法人野球殿堂博物館、一般社団法人日本野球機構、一般財団法人全日本野球協会

日本野球聖地・名所「150選」を巡る「スタンプラリー」の開催

実施期間 令和4年年7月23日(土曜日)から12月31日(土曜日)まで(予定)

※ 新型コロナウイルス感染拡大の状況などにより、中断または中止となる場合があります。

※ 詳しくは、次のリンクを確認してください。

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