「史跡 須玖岡本遺跡」に標柱を設置

ページ番号1002234  更新日 令和元年9月2日

国指定から30年目にあたる平成28年6月24日、春日市奴国の丘歴史公園内に、須玖岡本遺跡が国指定史跡であることを示す標柱を設置しました。

同遺跡では、1899(明治32)年の王墓発見以降、数々の貴重な遺構や遺物の発見が今なお続いており、金印「漢委奴国王」で有名な「奴国」の中心地と推定されています。その重要性から、昭和61年には「岡本遺跡」として史跡指定、平成12年には史跡の追加指定と「須玖岡本遺跡」への名称変更を行い、その後も数度に渡る追加指定を行ってきました。

同史跡地の一部を歴史公園に整備した平成6年に説明板を設置しましたが、老朽化に伴い平成27年に撤去したため、今回、新たにの標柱を設置しました。

今後は、追加指定した史跡地についても、説明板などの設置を進める予定です。

設置された標柱の写真
「史跡 須玖岡本遺跡」の標柱

標柱の文字は「八分隷」

今回設置した標柱は、高さ140センチメートルの御影石製。表面は八分隷(はっぷんれい)で「史跡 須玖岡本遺跡」、裏面は「文部科学省 昭和六十一年六月二十四日指定 平成二十八年六月二十四日春日市」と刻字しています。

八分隷とは、隷書体(れいしょたい)の一種です。秦の時代に、篆書(てんしょ)を簡略化した隷書(秦隷(しんれい))が公文書に用いられるようになります。その後の前漢時代にはさらに隷書への移行が進み、草書(そうしょ)の元となる早書きの「草隷(そうれい)」や秦隷に似た「古隷(これい)」、波磔(はたく=横画と左右の払いに波状にはね出す筆法)を強調した装飾的な「八分」などの書体が現れます。

八分隷は、字形や筆画に厳格さを示すものとして生まれた書体で、儀礼や、石碑の揮毫(きごう)に用いられました。また、中国の後漢時代の石碑の多くは八分隷で書かれており、この時期は奴国の時代にも重なります。

石碑の揮毫は、春日市書道連盟会長の重 正嘉(しげ まさか)さんによるものです。重さんは、須玖岡本遺跡にふさわしい字体は何だろうかと熟考。末広がりで動きのある字体がふさわしいのではと考え、奴国の栄えた時代に中国で使われていた八分隷を選定しました。

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