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ため池物語

最終更新日 平成27年2月3日

春日のため池

春日市の面積は、わずか1,400ヘクタール程度です。しかしその中に、平成27年1月5日現在で、20のため池が残っています。かつては、この3倍近い数のため池があったそうで、個人で所有していたため池まで含めると、100を超えるため池がありました。

ため池の大半は、現在でも水田のかんがい用として使われています。

ため池のなりたち

わが国の稲作発祥の地とされている福岡平野には、那珂川と御笠川が流れ、古代から盛んに稲作が行われていました。しかし、那珂川や御笠川は、筑後川などの大きな川に比べると水の量が少なく、稲作をする上での障害となっていました。そこで、先人たちは、この水不足を克服するために、たくさんのため池を造りました。明治の初めには、福岡平野には527のため池があったと記録されています。市内にあるため池のほとんどは、江戸時代に造られました。

苦労して造られたため池

春日にあるため池は、村に住んでいた人たちが、自分たちの手で作りました。藩の許可が必要でしたが、基本的には、庄屋を中心に村人全員の総意と協力の下に造られました。

ため池と張り巡らされた水路を作るためには多くの人の労力が必要だったようで、水利権は、厳格なしきたりの下に運営が行われました。

1664年、須玖村庄屋の武末 新兵衛(たけすえ しんべえ)は、下白水村と須玖村の農民と協働して白水池の堤防を改築し、「一に白水(しろうず)、二に感田(かんだ)、三に粕屋の駕与丁(かよいちょう)」と呼ばれる筑前三大大池の一つに成し遂げました。

つながっているため池

ため池の水は、近くにちょうどいい川がなかったので、牛頸川(うしくびがわ)の支流からトンネルを掘って導きました。そして、導水路を通して得た貴重な水を、できるだけ広い地域に分配するために、その水をまず標高の高いため池に導き、そこを満たした後に、順番に下の方のため池に導くように工夫されていました。

そのため、ため池どうしは水路でつながれていました。

ため池の保護

典型的な日本の純農村地帯であった春日市も、宅地開発のため、次々にため池が埋め立てられていきました。その中、環境保護議論の高まりや市民団体の熱心な活動により、昭和60年6月、「春日市溜池(ためいけ)保全条例」が作られました。

全国でも珍しい、この「溜池保全条例」は、ため池とその周囲の自然環境の保護が目的。春日市の自然環境の維持に役立っています。

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