最終更新日 平成27年3月26日
これは、黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)(孝高(よしたか))の父・黒田(小寺(こでら)) 職隆(もとたか)の墓石を描いた絵図です。黒田 職隆は、播磨国(はりまのくに)(今の兵庫県姫路市)で小寺 則職(おのだ のりたか)・政職(まさたか)に仕え、天正13(1585)年8月22日に没し、御着茶臼山城(ごちゃくちゃうすやまじょう)近くの心光寺(しんこうじ)に葬られました。
慶長5(1600)年に関ヶ原の戦いでの功績により黒田 長政(くろだ ながまさ)が初代藩主として筑前国(今の福岡県)に入ってから100年ほど後には、職隆の墓の所在は分からなくなっていました。調査の結果、没後200年がたった、天明3(1783)年10月23日に墓が発見され、九代藩主黒田 斉隆(くろだ なりたか)によって、補修が行われました。
この絵図は、2001(平成13)年に春日市に寄贈された近世初期から幕末頃にかけての史料『佐藤恭敏家文書(さとうやすとしけもんじょ)』の一部で、修復工事を行った天明4年頃に描かれたものと推定されています。
黒田職隆の墓石図