現在地

  1. トップページ
  2. ギャラリー
  3. 奴国写真館
  4. 銅鏡と鋳型

銅鏡と鋳型

最終更新日 平成27年3月26日

次の銅鏡の写真は、須玖北にある福岡徳洲会病院の敷地内(須玖唐梨(すぐとうなし)遺跡)を発掘調査した際に出土した青銅製の小型の鏡で、鏡の模様から内行花文鏡(ないこうかもんきょう)と呼ばれています。

千数百年間、土の中に埋まっていたため黒く変色していますが、本来は薄い金色をしていたと考えられます。保存状態が大変よく、中心にある穴にはひもと思われる植物質の繊維が残っていました。

須玖地区では、弥生時代にたくさんの青銅器が作られ、九州内はもとより、中国・四国地方まで運ばれていました。この銅鏡も、須玖地区のどこかで作られたと考えられます。

出土地点から230メートル南東にある須玖永田(すぐえいだ)A遺跡では、銅鏡の鋳型が出土しています。鋳型は破片しか出てこなかったため詳しくは分かりませんが、彫り込まれた鏡の大きさや模様からこの銅鏡を作った鋳型かもしれません。

須玖唐梨遺跡出土の銅鏡
須玖唐梨遺跡出土の銅鏡

須玖永田A遺跡出土の鏡鋳型
須玖永田A遺跡出土の鏡鋳型

ページの先頭へ戻る